
Ciao!今回もポンペイへ行ってきたレポートの続きです。今回はちょっとしたガイド付きでみどころをエリアごとにご紹介します。
ポンペイ全体











レストランがある休憩所からはポンペイの遺跡全体が見渡せます。かつてのポンペイの街は機能的で、大雨が降って道が水没しても大丈夫なように歩道に高さが設けられ、所々に道を渡るための飛び石も設置されていました。車道にはよく見ると轍の痕跡を見つけることもできます。
街の至る所にパン屋や居酒屋などの店舗跡が見られ、娼館(ルパナーレ)もあったりと、とても活気があった街というのがよくわかります。ちなみに、ひと昔前までは娼館のシンボルであるとの見方が有力だった有名なあのマークは、現在では魔よけの一種だったというのが定説だそうです。
現在のポンペイ遺跡には猫がたくさん住んでいます。以前は大きな野良犬が多く住んでいたのを覚えていたので聞いてみると、名前も付けられていてスタッフさんやガイドさん達から長年可愛がられていたのですが、現在はみんな保護センターで暮らしているようです。
2026年現在はI~IX地区のエリアが公開されています。
ポルタ・マリーナ入場口周辺

VII-1 郊外の浴場(Terme Suburbane)

街の外(城壁外)にある私設の浴場です。紀元前1世紀にはすでにその機能は失われていたと言われています、旅から帰ってくると、街に入る前にこの浴場でさっぱりしてからポンペイの街の中に入るそうです。昔から綺麗好き。衛生観念がしっかりとしていたんですね。
その他、脱衣所とされるエリアからは官能的な作品も発掘されており、上階などで行われている商売の宣伝だったと考えられています。
VII-2 マリーナ門と外壁(Porta Marina e cinta muraria)

マリーナ門は海への街道に続く、ポンペイの街に入るメインゲート。ポンペイの7つの門の中でも最も堂々とした造りを持っています。
VIII-1 ヴィーナスの聖域(Santuario di Venere)

ローマ植民地時代、ヴィーナスはポンペイの守護神でした。また、それ以前から、海から生まれたヴィーナスは航海の守り神とも考えられていたため、海が見えるこの高台に聖域が造られました。紀元後62年の大地震により神域は損害を受け、ヴェスヴィオ火山の大噴火があった79年にもまだ再建途中だったそうです。
フォロ周辺

VII-6a フォロ(Foro)

ポンペイのメイン広場です。日常生活の中心地として行政や司法、信仰、商売の中心として機能していました。
VII-15 アウグストゥスの調和の回廊(Portico della Concordia Augusta)

裕福な家柄の出身で女神ヴィーナスの女祭司であったエウマキアが皇帝を礼賛のために建てさせた回廊。現在では、春になると色とりどりの花々が咲き誇る回廊となっています。
隣接する灰の神の女祭祀だったマミアに願いによって建てられたアウグストゥスの守護神の神殿には、ヴェスヴィオ山大噴火の際の犠牲者の石膏像が安置されています。
VIII-2 バジリカ(Basilica)

フォロ区域最大の建物跡で裁判や商取引が行われていました。建設時期は紀元前130-20年頃と推定されており、古代ローマ世界としても、もっとも古い建物のひとつと考えられています。
VII-8 ジュピター神殿(Tempio di Giove)

フォロの北側にある神殿。借景にヴェスヴィオ山が見えますね。ローマの植民都市時代には、ジュピター、ユノー、ミネルヴァの三神に捧げられたとされています。
VII-6b ポンデラリアの食堂(Mensa Ponderaria)

フォロに面した商取引に用いられた量り台が置かれた作業台。、ポンペイがローマの傘下に入った(紀元前80年)を機会に、ローマの重量単位と計量法に改正されたことを記す書き込みが現在でも見られます。
VII-5 アポロ神殿(Santuario di Apollo)


ポンペイで最も古い信仰の場所の一つです。紀元前6世紀にはすでにこの地に神殿が建っていたそうですよ。
ブロンズのアポロン像とディアナ像は現在ナポリ考古学博物館に所蔵されています。
こちらの写真のみ2012年に訪問した時のものです。画像が荒いですね…(笑)雨上がりの散策でした。
フォロ~秘儀荘エリア

VII-10 フォロの浴場(Terme di Foro)


ポンペイがローマの植民都市となってすぐの紀元前80年に建設された浴場(テルメ)です。女性用・男性用の区画に分かれていました。内部装飾も素晴らしく、壁の中をお湯が通ることにより部屋を暖めるシステムなども見られます。
VI-4 悲劇詩人の家(Casa del Poeta Tragico)

有名な「猛犬注意」のモザイクが見られるのがこちらの邸宅入口です。
VI-1 ファウノの家(Casa del Fauno)



紀元前2世紀頃には着工が始まったとされる住宅の中でも最も大きなものの一つ。約3000平方メートルに及び、一区画を完全に占有していたと考えられています。入口前の歩道にあるラテン語(HAVE)は歓迎を表す言葉。
邸宅の中には、踊るサテュロスまたはファウヌスの像や、『アレクサンドロス・モザイク』と呼ばれるアレクサンドロス大王とダレイオス3世の合戦を描いた紀元前300年頃の作品の模写とされるモザイク画があります。なお、どちらもオリジナルはナポリ考古学博物館に所蔵されています。
VI-11 ヴェッティの家(Casa dei Vetti)






個人邸宅の中でも一番豪華で見どころがあります。商売で財を成した奴隷出身の自由民アウルス・ヴェッティウス・レスティ
トトスとアウルス・ヴェッティウス・コンヴィーヴァ兄弟が所有していた邸宅。
魚などの精巧な静物画やキューピッドたちが当時の製造活動にいそしむシーンを描いたサロンの壁画も必見。玄関の右側には有名な「男性生殖の神(男性生殖と豊穣を司る神プリアポス)」が飾られ、台所の区域にはラレースや他の家庭の神々を祀るララリウムがあり、官能的な場面を描いた壁画が残る小部屋ではエウティキスという名の娼婦が商売をしていたそうです。
VI-3 小噴水の家(Casa della Fontana Piccola)とVI-20 大噴水の家(Casa della Fontana Grande)


メルクリオ通り(Via dei Mercurio)に面した隣接する邸宅。近年修復された、多色のモザイクと貝殻で装飾され、漁師とキューピッドのブロンズ像がある貴重な噴水があります。
V-4 チェチリオ・ジョコンドの家(Casa di Cecilio Giocondo)

金融業者であったチェチリオ・ジョコンドの家の玄関先でも犬のモザイクを見ることができます。
秘儀荘周辺

エルコラーノ門より先に入るには、Ponpei PlusまたはGrande Pompeiのチケットが必要です。Pompei Expressチケットをお持ちの場合は、現地にて追加購入することもできます(現金払い不可/8ユーロ)。
ポンペイ遺跡は基本的に再入場不可ですが、同じエルコラーノ門を通ってポンペイ遺跡への再入場することは可能ですのでご安心を。
VI-16 エルコラーノ門(Porta Ercolano e cinta muraria)

エルコラーノに向かう街道に造られた門。紀元前89年にローマの将軍シッラがポンペイを征服したのちに建造されたものです。征服後の設計であるため、特に防御的機能は設計されていません。
VI-18 ディオメデス荘(Villa di Diomede)


総面積は3500平方メートル、ポンペイで最も壮大な建物の一つ。海岸線開けた庭園とプールを備えた三層構造です。ポンペイの中でも初期に発掘され、1800年代の旅行者にとって見逃せない目的地の一つでした。
VI-19 秘儀荘(Villa dei Misteri)



ポンペイ遺跡いちばんの見どころといっても過言ではありません。ポンペイ・レッドが映える壁画は一見の価値あり!
有名な「秘儀の間」には、豊穣とブドウ酒・演劇と狂乱の神デュオニソスを祀る信者のみが参加できる秘密の儀式の場面が描かれています。
建設は紀元前2世紀ごろまで遡りますが、現在の形になったのは前80-70年頃で、壁画などもその時期のものと考えられています。
秘儀荘にある出口からポンペイ遺跡を出ると再入場することはできません。見逃したところがないか、確認してから退場するようにしましょう。
ポルタ・マリーナ・インフェリオーレ入場口付近

VIII-12 小劇場オデイオン(Teatro Piccolo – Odeion)

当時の流行だった無言劇が上演されたり、音楽会にも利用されていた円形の劇場。
VIII-11 劇場の回廊または剣闘士兵舎(Quadriportico dei teatri / Caserma dei Gladiatori)

大劇場の舞台裏に隣接された回廊で、、休憩時間には観客がくつろげるようになっていました。紀元後62年に起きた地震の後には、剣闘士たちの兵舎として使うようになったとの記録が残っています。
ちなみに、この場所からはヴェスヴィオ山大噴火時のたくさんの犠牲者が発見されているそうです。
I-7 メナンドロの家(Casa del Menandro)

身分の高い一族の典型的な住居例。ネロ帝の2番目の妃の親戚が所有していた邸宅と考えられています。発見された銀食器などの品々は現在ナポリ国立考古学博物館に収蔵されています。
I-6 チェイイの家(Casa dei Ceii)


サンニウム時代後期(紀元前2世紀頃)の古代住居の例。2階の小さな庭の最奥には野生動物を描いた壁面が残っており、エジプト的な風景が描かれていることから、この家の主はイシス神の信者であったと考えられています。
アッボンダンツァ通り周辺

アッボンダンツァ通り(Via dell’Abbondanza)




ポンペイの街の中央を横断する約900mのメインストリート。通りの左右には様々な商店などが並んでいます。
壁には選挙の際の落書きが見られるなど、歩いていると賑わっていた当時の様子がよみがえってくるかのようです。
VII-16 スタビアの浴場(Terme Stabiane)

ポンペイの街の中央に位置し、街で一番大きいテルメ。古代ローマ世界のうちでも、最も古い浴場の一つ(紀元前約2世紀)に数えられています。アッボンダンツァ通りに面したメイン入口は男性用、、ルパナーレ通りには女性用の入口がありました。
I-3 ステファノの洗濯屋(Fulluonica di Stephanus)

紡いだ糸の油抜きや汚れた衣類や布の洗濯をする作業場として使われていました。中には大きな貯水槽が置かれ、テラスの上階部分が布地を乾す場所になっています。最後の瞬間にステファヌスと思われる人物が最後の売り上げをもって逃げようとしたところなのか、入り口近くでまとまった貨幣と共に一体の人骨が発見されたそうです。
2026年夏季は、金曜日のみの曜日限定公開。
I-12 ララーリオのテルモポリウム(Casa e Thermopolium di Vetutius Placidus)

テルモポリウムとは、いわゆるオステリア(居酒屋/簡易食堂)です。レンガ造りのカウンターに大きなかめの下半分を陥れることができるようになっていて、その中に保存された温かい食べ物と飲み物を提供していました。すでに発掘済みのポンペイ遺跡(全体の3分の2のエリア)だけでも約90軒のテルモポリウムが確認されています。テルモポリウムを利用していたのは、自宅に食堂がある邸宅に住む上位層ではなく、社会的地位の比較的低い層の人々でした。
この店の奥の壁には、家の神々(ラル神)、オーナーの守護神ジェニオ、商いの神(メルクリオ)、酒の神(デュオニソス)を祀った祭壇を見ることできます。台に嵌めたままの形で残されたテラコッタ製の甕の一つからは、最後の日の売上金と思われる重さ3キロ近くもの貨幣が見つかっており、かなり繁盛していた人気店だったと考えられています。
IX-7 貞節な愛人のインスラ(Insula dei Casti Amanti)



こちらのインスラ(街区)は複数の住居と一つのパン屋で構成されています。パン屋は当時非常に利益の上がる商売らしく、ポンペイ遺跡ではこれまでに30以上ものパン屋跡が確認されています。円形のパン自体も発掘されていますね。なお、ポンペイではひき臼がある製粉所と焼き釜があるパン屋が一続きになっているケースが多く見られます。
79年に起こった噴火の時には、その前の地震による被害の修復作業が行われていた最中で、水道工事などが作業途中のままストップされています。
現在も発掘が進んでいる地区であり、足場から作業風景を見学することが可能です。
I-8 パクイウス・プロクルスの家(Casa di Paquio Proculo)

住居はサンニウム時代(紀元前約2世紀)に建設されたもので、床面には半閉じの扉の前に座る鎖でつながれた犬のモザイク
が見られます。帝政ローマでは犬は家の守りのシンボルとされていたことから、このモザイクはその時代のもの考えられています。
III-1 トレビオ・ヴァレンテの家(Casa di Trebio Valente)

共和国時代のローマの典型的な住宅例のひとつ。家の奥の部分に位置するする夏用のトリクリニオは、四角
で鮮やかに彩色された壁面とそれを覆う四本の円柱で支えられたペルゴラを見ることができます。
家の正面は、1943年のイギリス軍とアメリカ軍の爆撃で被害を受けるまでは、古代における壁面広告(選挙関係のプログラムや円形劇場で催される出し物など)の最大の例だったそうです。
円形劇場(アンフィテアトロ広場の入場口)周辺

II-2 貝のヴィーナスの家(Casa della Venere in conchiglia)

柱廊で囲まれた中庭に有名なヴィーナスのフレスコ壁画が残る個人邸宅。
II-1 オクタヴィウス・クアルティオの家(Casa della Octavius Quarto)

当時、街の外の田舎に点在していた貴族階級の壮大な館のミニチュア版で、噴火の直前にはポンペイのエリート階級の邸宅でした。
2026年夏季は、火曜日のみの曜日限定公開。
II-3 ジュリア・フェリーチェのプラエディア(Praedia di Giulia Felice)



紀元前1世紀の終わり頃、すでにあった複数の建物を統合して造られた緑の空間を多く配置した都市型邸宅。この邸宅はポンペイ遺跡の中でも、最初に発掘されたものの一つ。
2026年現在、混雑解消のために一方通行。大運動場側から入り、アッボンダンツァ通りへ抜けるルートです。
II-6 大運動場(Palestra Grande)






約140m四方の壁に囲まれた大きな運動場。発掘の際には、ここに避難したり逃げようとした多くの犠牲者たちが見つかっています。
現在は、フレスコ画や犠牲者の石膏像のほか、近隣のモレジーネのトリクリニオから出た出土品が常設で展示されています。
II-5 円形劇場(Anfiteatro)


古代ローマ世界は最古の劇場のひとつ。紀元前70年、ポンペイがローマの植民都市となってから間もなく建設されました。ポンペイの住人だけでなく、周辺の沿岸地域からやってくるも含めて、観客を約2万人を収容することができました。
周辺エリア
ボスコレアーレ(Boscoreale)






ヴィッラ・レジーナ(Villa Regina)は、近年発掘された田舎の住宅。
隣接する博物館と合わせても見学範囲は狭く、15分~30分ほどで十分でしょう。
オプロンティス(Oplontis)






紀元前1世紀中頃のポッペア荘と呼ばれる大邸宅。当時は海のそばに建てられていたと考えられています。現在も発掘・修復中ですが、色鮮やかなフレスコ壁画や素晴らしい中庭などを見学することが可能です。
見学所要目安時間は約30分~1時間。
ポンペイのマップ
マップや詳細な公式ガイド(日本語あり)は公式HPからダウンロード可能です。
https://pompeiisites.org/en/visiting-info/map-and-guide-to-the-excavations/
まとめ
ポンペイ遺跡内の主要なみどころをまとめてみました。遺跡内は1日では見切れないほど広大です。お目当てのスポットを見逃さないように効率よく見て回りましょう。ちょっとしたところに素敵なモザイクや壁画、当時の人が書いたであろう落書きなど、行くたびに新しい発見がある街です。
遺跡エリアの周辺には遊歩道が整備されているので早朝や夕方に歩くのも気持ちよさそうですね。
ポンペイ遺跡からの出土品の多くは、現在はナポリ考古学博物館に所蔵されています。時間がある場合は、あわせて見学することをおすすめします。
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